1学期レギュラー授業の最終回です。
今年度の1年生は高大接続の観点から、新しい指導プロセスにいろいろチャレンジしています。そのため年度当初の計画を大きく変更することも多く、何かと手探りの1学期間でした。
その意味で今日の授業も新しい取り組みです。
さて、今日のマイコンです。
テーマは「サッカーワールドカップでの日本対ポーランドの試合について」です。
内容の詳細は語らずとも、多くの方は推測がつくのではないでしょうか。
発表者、コメンテーターともに日本の取った作戦については肯定的な意見が述べられたところで、私が少し口を挟みました。
「今回発表された内容を全体としてPREPのEに位置づけたとき、Pは何になるだろうか」
生徒たちが具体的な話題に偏って発言していたため(もちろん悪いことではありませんが)、あえて抽象化した視点にアプローチさせてみたかったのです。
さて、マイコンの後は授業に入ります。
今日の授業テーマ(めあて)は「頭を使っている感覚を実感する」。
独自教材を使います。
人間は目覚めている間は多かれ少なかれ「頭を使って」生活しているわけですが、常に頭を使っているからこそ、実感を伴って意図的に「頭を使っている」時間は意外に少ないのではないかというのが、私の考えです。
学習課題や試験問題に取り組んでいるときでさえ、意図的に頭を使っていないかもしれません。いいかえれば「頭を使っているという実感を伴って頭を使って」いないかもしれないということでもあります。
そこで今日の授業では一見すると「これが現代文の学習?」というような教材を使って、短い時間でよいから「頭を使っている」実感を生徒たちに感じてもらおうと考えました。
たとえば哲学課題のようなもの・・・
「天使と悪魔だけが存在するこの世界では、天使はつねに真実を述べ、悪魔はつねに
ウソをつきます。」
問 この世界においては「私は悪魔です。」という発言が存在し得ないことを
論証しなさい。
あるいは数学の問題のようなもの…
「A君とB君の2人が動物園で、ある一種類の動物を一緒に見ました。二人はそれぞれ
自分が見た動物はキリンですと答えました。その動物園には17種類の動物が飼育され
ていて、そのうち一種類がキリンです。また、A君もB君も20%の確率でランダムに
ウソをつきます。」
問 A君とB君とが一緒に見た動物がキリンであった確率を分数の形で答えなさい。
(上記2問:参考文献『13歳からの思考実験ノート』小野田博一著)
このような課題を与えると生徒たちは興味を持って取り組みます。考え始めます。
しかし、そのときの彼らが目指しているものは「正解」です。あると確信しているたった一つのゴールに向かって突き進み、自分の出した答えが「正解」と一致することが彼らにとっての価値です。そこには思考のプロセスを実感しようとする姿勢は、残念ながら見て取れません。
したがって、この授業では、並列的な「認識」を直列に並べ替えるプロセスこそ「考えること=頭を使うこと」なのだということを実感させていきます。
この授業の詳細は、改めてセミナーなどで報告させていただこうと思います。
今年度の1年生は高大接続の観点から、新しい指導プロセスにいろいろチャレンジしています。そのため年度当初の計画を大きく変更することも多く、何かと手探りの1学期間でした。
その意味で今日の授業も新しい取り組みです。
さて、今日のマイコンです。
テーマは「サッカーワールドカップでの日本対ポーランドの試合について」です。
内容の詳細は語らずとも、多くの方は推測がつくのではないでしょうか。
発表者、コメンテーターともに日本の取った作戦については肯定的な意見が述べられたところで、私が少し口を挟みました。
「今回発表された内容を全体としてPREPのEに位置づけたとき、Pは何になるだろうか」
生徒たちが具体的な話題に偏って発言していたため(もちろん悪いことではありませんが)、あえて抽象化した視点にアプローチさせてみたかったのです。
さて、マイコンの後は授業に入ります。
今日の授業テーマ(めあて)は「頭を使っている感覚を実感する」。
独自教材を使います。
人間は目覚めている間は多かれ少なかれ「頭を使って」生活しているわけですが、常に頭を使っているからこそ、実感を伴って意図的に「頭を使っている」時間は意外に少ないのではないかというのが、私の考えです。
学習課題や試験問題に取り組んでいるときでさえ、意図的に頭を使っていないかもしれません。いいかえれば「頭を使っているという実感を伴って頭を使って」いないかもしれないということでもあります。
そこで今日の授業では一見すると「これが現代文の学習?」というような教材を使って、短い時間でよいから「頭を使っている」実感を生徒たちに感じてもらおうと考えました。
たとえば哲学課題のようなもの・・・
「天使と悪魔だけが存在するこの世界では、天使はつねに真実を述べ、悪魔はつねに
ウソをつきます。」
問 この世界においては「私は悪魔です。」という発言が存在し得ないことを
論証しなさい。
あるいは数学の問題のようなもの…
「A君とB君の2人が動物園で、ある一種類の動物を一緒に見ました。二人はそれぞれ
自分が見た動物はキリンですと答えました。その動物園には17種類の動物が飼育され
ていて、そのうち一種類がキリンです。また、A君もB君も20%の確率でランダムに
ウソをつきます。」
問 A君とB君とが一緒に見た動物がキリンであった確率を分数の形で答えなさい。
(上記2問:参考文献『13歳からの思考実験ノート』小野田博一著)
このような課題を与えると生徒たちは興味を持って取り組みます。考え始めます。
しかし、そのときの彼らが目指しているものは「正解」です。あると確信しているたった一つのゴールに向かって突き進み、自分の出した答えが「正解」と一致することが彼らにとっての価値です。そこには思考のプロセスを実感しようとする姿勢は、残念ながら見て取れません。
したがって、この授業では、並列的な「認識」を直列に並べ替えるプロセスこそ「考えること=頭を使うこと」なのだということを実感させていきます。
この授業の詳細は、改めてセミナーなどで報告させていただこうと思います。