今週は、ディベートのスポット授業(4時間)を行いました。

そこで、
この機会にこのブログでも数回に分けて「ディベート」を
取り上げたいと思います。

第1回目の今回は「高校で行うディベート指導」について総論的に扱ってみます。


(1)ディベートの歴史

  ディベートの歴史は非常に古く、教育ディベートに限ってみても、ヨーロッパや
 中国では約3000年前から行われていた記録が残っています。
  日本におけるディベートも古くから実施されていましたが、当時のディベートは
 主に大学生が英語によって行うものが多く、現在のように中学生や高校生が日本語
 でディベートを行うようになったのはごく最近、1990年代に入ってからのことだと
 思います。


(2)学校でのディベート

  開智高校の入学してきた生徒たちも、多くは「ディベート」という言葉を知って
 いますし、実際にディベートを行った経験を持っている人もたくさんいますが、
 その経験内容には大きな差があるようです。
 多くの生徒が経験しているのはディベートと名付けられた「ディスカッション」
 あるいは「テーマ討論」のようなものであるようです。
 
 そうなってしまう原因は次の2点であると私は考えています。

  ・中学生には本格的なディベートはまだ難しいと、指導者(先生)が
   思い込んでしまっている。

  ・指導する先生自身がディベートについて実はよく知らない。

   (①・②ともに深刻なイシューを持ったテーマですが、このブログで扱う
    話題としては重たすぎますので割愛します。)


  学校で行うディベートを「教育ディベート」と呼びます。
  教育ディベートは現実社会に何らかの影響を与える実質的なディベート(米国
 大統領候補者の討論会や、日本の党首討論、裁判など)とは異なり、現実社会への
 影響を意図しない形式的ディベートです。
 
 教育ディベートの目的はいくつもありますが、ざっくりまとめてしまうと
 「論理的思考力を育てる」ということになると思います。ディベートが国語(現代文)
 学習の枠を超えて「総合的な学力育成」の題材と呼ばれる理由がここにあります。
 
 開智高校S類ではこれに加えて「ソーシャル・スキルの向上」も大きな柱として
 位置づけています。


(3)ディベート学習のステップ

  ① 論題(テーマ)を分析し、必要な情報を集める。
  ② 情報を整理し、自分の立場からの論理を構築する。
  ③ 他派の主張を想定しながら、ディベートマッチ全体を構造化する。
  ④ ディベートマッチを実施する。
  ⑤ ディベートマッチを振り返り、うまくできた点と、もう少し努力できた
    点をまとめる。

   ディベートは総合的な学習題材ですので、細かく説明していけばきりがないの
  ですが、私は大きく以上の5ステップで指導しています。

   なかでも特に初心者に対して指導する際に私が重視していることは、
  ④における「聞く姿勢」についてです。
   もちろん、これが一番大切だからというわけではありません。情報を集め、分析
  することも、立論をしっかり構築することも、それを明快に述べることも、
  みな重要です。
   で
は、なぜ「聞く姿勢」を重要視するのかというと、それが学習する高校生にも、
  また指導する先生にも「最も見落とされやすい」点であるからなのです。


(4)論理的思考力とソーシャル・スキル

   ディベート学習の中では、どうしても「ディベートマッチ」が焦点化されやすく、
  とりわけ「どれだけ理論的に主張できたか」という「発信」面がクローズアップ
  されがちです。特に初心者のディベートではこの傾向が強く見られます。

   た
しかにディベートマッチにおいて「論理的に自分の考えを主張する」ことは
  大切です。しかし、それさえできればよいということではありません。

   ディベートマッチは「自分とは相対する考えを持った人とのコミュニケーション」
  のなかで行われます。この構造というのは我々大人も、また高校生も、日常生活の中
  でしばしば体験する構造です。
   私たちは一人で生きているわけではなく、社会の一員として生きています。
  社会の中で生きるということは、他人とのコミュニケーションの中で生きるという
  ことにほかなりません。
   そのような環境の中では、いかに自分の意見(主張)が論理的であったとしても、
  主張する人間が、相手の話に耳を傾ける姿勢を持つことができていなかったと
  すれば、その意見は決して相手に届くことはないでしょう。


   ディベートの指導を通して、生徒たちには「論理的な思考力」「判断力」
  「表現力」を身につけてもらいたいわけですが、それが独善的なものであったと
  すれば、それらの力は社会に出てからなんの力も持たないばかりか、
  かえって人間関係に大きな弊害をもたらすものとなるでしょう。

   ディベートを通して育てたい力とは「理屈を振り回して、相手を黙らせる力」
  ではありません。
  「相対する立場に立つ人間同士が、質の高いコミュニケーションをすること通して、
  真理を追求していこうとする力」であると、私は考えています。


  さて、次回からは実際の授業の様子をお伝えしていこうと思います。