「日本語は難しい」とは、しばしば聞くセリフです。

確かに20数個の文字(=記号)の組み合わせで表現する言語に比べると、
いくつかの面においては「面倒くさい」言語かもしれません。
英語などの場合には「意味は分からなくても、読める(発音できる)」
ということがあるかもしれませんが、
日本語の場合には、すべてひらがな・カタカナであれば話は別ですが、
漢字かな交じり文になると、一定量の知識がないと読むこと(発音すること)
もできません。

しかし、私は「日本語が難しく感じられてしまう」もっと大きな原因は
「二つの意味の存在」にあると思います。

二つの意味とは「語彙的な意味」と「文法的な意味」のことです。
「自立語が持つ意味」と「付属語が持つ意味」とも言えます。

前々回の記事で、助詞の「に」と「から」との使い分けについて紹介しましたが、
これなども助詞が持つ文法的意味や用法の縛りに由来するものです。

それ以外にも、日本語を「学校文法」に基づいて分析すると、たとえば
こんなことになります。

「書いた」=「カ行五段活用動詞『書く』の連用形イ音便」+「過去の助動詞『た』の終止形」

かなり「面倒くさい」ですよね。

動詞にはいくつもの「活用の種類」があって、いくつもの「活用形」がある。
そのうえ「例外」としての音便形などが存在し、さらに複雑になっている。

しかも、この「た」は、文法的意味として「過去・完了・存続・確認」などを持ち、
活用の仕方は「特殊型」といわれる…。

日本語にいくつの動詞、というよりいくつの自立語があるか知りませんが、
それらについての「語彙的な意味」(しかも、これも1つじゃない!)を覚えたうえで、
文法的な性質も対応させて覚えなくてはならない。

そしてそれに輪をかけるのが付属語が持つ「文法的意味」です。

英語であれば「wrote」は「write」の「過去形」という説明(理解)で済むのに、
日本語だと、先ほどのような分析をしたうえで、
「『書いた』は過去のことを表している」と理解しなくてはならないのです。

このあたりが、日本語を「難しい」と感じさせてしまう原因のような気がするのです。

まあ、本居宣長さんあたりからの伝統なので、仕方がないのですが、
この「日本語文法」(古典文法を含めて)、もっと簡単に整理したいですよね。

とはいうものの、文法あっての言葉ではなく、言葉あっての文法ですから
文法を作ってそれに言葉を合わせることはできないのですが…。