思考するためには二つのものを手に入れる必要があります。

1つは思考のための「ツール」=「言葉」です。

もう一つは思考のための「材料」=「知識」です。

思考のルートがうまく取れない、あるいは思考が深まらないケースの多くは今挙げたどちらかが不十分であることが多いようです。

これを解決するのが『論理エンジン』であり、「知識の習得」です。

『論理エンジン』についてはここでお話しするまでもありませんので、「知識の習得」について取り上げます。

「知識の習得」にも二つの側面があります。

1つは、いわゆる「知識」そのもの。
 英単語や古文単語、歴史や理科の諸事項などです。

もう一つは「基本的な考え方」。
 数学や化学・物理の「式」や、経済の考え方などです。

これらは授業で先生から習ったり、自分で覚えたりすることを通して、確実に「身につける」ことが必要です。

私はよく人間の思考の仕組みをコンピュータに例えるのですが、そこでいうところの「HDD勝負」の部分ですね。基本となる考え方や、考えるための材料がなければ、思考そのものが成り立ちません。

知識の習得」のフェーズは、ときには単調で面白くないことがありますので、「勉強すること」=「知識の習得」と間違った思い込みをしてしまっている場合、「なんで勉強するのか、意味がわからない」といった「見当違いの悩み」を抱えてしまう人が出てくることもあります。

そんなときは、あまり深く悩まないでください。「意味」は簡単です。いろいろなことを考えるためには、いろいろなことを知っていなければならない。ただそれだけなんです。



ところが人間の脳というのは「不必要と思われることは積極的に忘れる」ようにできていますので、心のどこかで「こんなこと覚えて、なんの役に立つのかなあ」という疑問を抱えていると、一生懸命に覚えようとしても、あるいは覚えてもとっとと忘れてしまいます。

したがって、心から「どうしても必要だ」と思いながら習得することが必要になってきます。これを行うのが「独習」です。

他人から「教わって」いる段階は「受け身」の状態ですので、頭はまだまだ必要性を十分に感じ取っていません。習ったこと、知ったことを自分自身の中に持ち帰り、自分自身としっかり向き合って、「その必要性を身に染みて実感する」ことができたとき、それは知識としてHDDにしっかりと格納されるのです。