先週の火曜日、今年度第1回目の授業を行いました。
今年度担当するのは1年生2クラスです。
(今年度も、担当できる授業に限りがあるのがとても残念です。)
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さて、第1回目の授業です。
私の授業で初めに行うのは、「国語」そして「国語力」の定義づけです。
私たちは言葉を使って物事を考え、コミュニケーションをとっていますが、
その「ツール」としての言葉そのものを、そしてその言葉を運用していく力自体を
私の目の前にいる生徒たちは、正しく認識していません。
より正確に言えば、それらについて正しく定義できていないため、正しく認識できていない状態にあるということになります。
これは生徒たちが学習を怠けてきたからではなく、必要な時期に教えてもらえて来なかったことが唯一の原因です。
しかし、この部分があいまいだと、思考力や表現力、さらには創造力といった、高次な人間力は育まれません。そればかりか、偏差値で表すことができる(=学校だけで通用する程度の)国語力すら伸びていくことはありません。
したがって、まずは「定義付け」から始め、徐々に知的基礎体力を高めていきます。
教材は『思考ルート』を使います。
ここで徹底的に現状を分析し、イシューを生徒たちと共有していきます。
そのうえで、より具体的に自分の現状を確認するために『論理エンジン』に取り組みます。
この時点では『論理エンジン』についての詳しい説明はしません。予備知識なしの純粋な状態で「レベル1」(小学校3~4年生程度)の問題に個人で取り組みます。
ひと通り問題が解き終わったところでグループで答え合わせをします。
もちろん解答書と照らし合わせるのではなく、自分たちで意見を出し合って答えを決めていきます。
※ 私はテキストを持たせるときに、解答書がついていればそれらもすべて生徒に渡して
しまいます。
小学校・中学校時代に「たった一つの正解(と思い込んでいるもの)」にたどり着くことが
勉強であり、それに価値を見出してきた生徒は解答書を開きたがります。その行為を
止めることを私はしませんが、間もなくそのような「答え合わせ」が何の意味も価値もない
ことであることを生徒たちは知ることになります。
自分の解答と友人の解答とを比べた時にどういう状況が起こっているかを共有し、
それぞれが「なぜその答えに至ったか」の思考ルートを述べ合うように議論を方向付けます。
最後に、すべてのグループが、割り当てられた問題について、話し合った経緯と、
自分たちなりにたどり着いた「答え」について発表を行います。
意見(答え)が一つにまとまるグループもあれば、まとまらないグループもあります。
私からの容赦ないつっこみに立ち往生するグループもあれば、的確に切り返してくるグループもあります。
この授業をたった1回経験するだけで生徒たちは「多様な思考ルート」の存在に気づき、それらを共有することの価値に気づきます。
同じ問題を解いても
・違った思考ルートを通って、自分とは違う場所に行きつく人がいること。
・自分と同じ場所に行きついても、思考ルートが違う人がいること。
・自分と同じ思考ルートを通って同じ場所に行きつく人がいること。
などに気づき、自分の思考ルートの単調さと頼りなさを実感することができるのです。
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次回の授業からは、本格的に『論理エンジン』に取り組んでいきます。
果たしてどれだけ多くの生徒にエクスペリエンスを与えることができるか、不安でもあり楽しみでもあります。