「学びあい」その2

思考するためには二つのものを手に入れる必要があります。

1つは思考のための「ツール」=「言葉」です。

もう一つは思考のための「材料」=「知識」です。

思考のルートがうまく取れない、あるいは思考が深まらないケースの多くは今挙げたどちらかが不十分であることが多いようです。

これを解決するのが『論理エンジン』であり、「知識の習得」です。

『論理エンジン』についてはここでお話しするまでもありませんので、「知識の習得」について取り上げます。

「知識の習得」にも二つの側面があります。

1つは、いわゆる「知識」そのもの。
 英単語や古文単語、歴史や理科の諸事項などです。

もう一つは「基本的な考え方」。
 数学や化学・物理の「式」や、経済の考え方などです。

これらは授業で先生から習ったり、自分で覚えたりすることを通して、確実に「身につける」ことが必要です。

私はよく人間の思考の仕組みをコンピュータに例えるのですが、そこでいうところの「HDD勝負」の部分ですね。基本となる考え方や、考えるための材料がなければ、思考そのものが成り立ちません。

知識の習得」のフェーズは、ときには単調で面白くないことがありますので、「勉強すること」=「知識の習得」と間違った思い込みをしてしまっている場合、「なんで勉強するのか、意味がわからない」といった「見当違いの悩み」を抱えてしまう人が出てくることもあります。

そんなときは、あまり深く悩まないでください。「意味」は簡単です。いろいろなことを考えるためには、いろいろなことを知っていなければならない。ただそれだけなんです。



ところが人間の脳というのは「不必要と思われることは積極的に忘れる」ようにできていますので、心のどこかで「こんなこと覚えて、なんの役に立つのかなあ」という疑問を抱えていると、一生懸命に覚えようとしても、あるいは覚えてもとっとと忘れてしまいます。

したがって、心から「どうしても必要だ」と思いながら習得することが必要になってきます。これを行うのが「独習」です。

他人から「教わって」いる段階は「受け身」の状態ですので、頭はまだまだ必要性を十分に感じ取っていません。習ったこと、知ったことを自分自身の中に持ち帰り、自分自身としっかり向き合って、「その必要性を身に染みて実感する」ことができたとき、それは知識としてHDDにしっかりと格納されるのです。


 

「学びあい」その1

今回から「学びあい」についてお話をしていきたいと思います。

私が「学びあい」を授業に多く取り入れるようになったのは今から6年前、S類をスタートさせてからです。
それまでにもディベートなどでは授業中に話し合い場面は多かったのですが、本格的に「学びあい」スタイルの開発に取り組み始めてからは、教科書や論理エンジンの学習のときはもちろん、大学入試問題演習などにも積極的に「学びあい」を取り入れるようになりました。

私は「学びあい」が持っている効果を2つ定義しています。

① 教科学習における、効果的な思考ルートの獲得。

②「ソーシャル・スキル」の向上

です。

今回は一つ目の項目「効果的な思考ルートの獲得」の前編です。


先日実施した「独習合宿」という名称にも反映させていますが、私は勉強とは本来「独りで」するものだと思っています。(その思いは現在も変わっていません!)
しかし、「独習」するだけで効果的に学力が育まれるとも思っていません。また教師が「教え込む」ような授業も生徒を伸ばすとは思えません。(授業準備も一生懸命、授業中も一生懸命、でも生徒が伸びない…NG教師については、また別の機会にお話ししたいと思います。)

教科学力の習得過程にはいくつものルートがあると考えていますが、私は

「知識の習得」+「独習」+「α」

を基本ルートとしてとらえています。この「α」を担うもの、「独習」の効果をより高める「触媒」のようなものが「学びあい」であると考えています。
この「学びあい」の場が授業にあることによって、限られた時間の中でも効果的に学力を向上させていくことができるのです。

次回はこのことをもう少し詳しく紹介していこうと思います。 



プロフィール

2000年度より開智学園の教育理念を具現化するための新教育システムの構築に取り組み、2005年度に「S類」をスタートさせる。独自に開発した【S類メソッド】の柱の一つに『論理エンジン』を位置づけ、3つの力(論理的思考力、判断力、表現力)の総合体としての「智力」の育成に大きな成果を上げている。また、独自の理論に基づく「ソーシャル・スキルの育成」も人間力の向上に大きな効果をもたらしている。 趣味はギター。

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