「学びあい」その4

今回は「学びあい」がもつ、もう一つの意義、
「ソーシャル・スキルの育成」です。

中学生・高校生が一日の活動時間のうちの大半を過ごす学校は、塾や予備校とは異なり、教科学習だけを行う場ではありません。
学校生活は授業を中心とした「正課活動」と、部活動や委員会活動などの「課外活動」あるいは「行事」などから成り立っています。

たとえば部活動。運動部にしても文化部にしても、基本的な技術やルールなどは顧問やコーチ、あるいは先輩などから教えてもらいます。そのあとは一人一人の生徒が練習をし、自分に磨きをかけていきます。その過程で重要なのが同級生や先輩たちとのコミュニケーションです。アドバイスをもらったり、お互いに不十分なところを指摘しあったり、優れたところを盗んだりといった「生徒同士のつながり」を通じて、急速に力を伸ばしていきます。

このような課外活動でのコミュニケーション体験は生徒の「ソーシャル・スキル」を育成します。部活動や委員会活動などの場において「学びあう」ことを通じて生徒たちは「ソーシャル・スキル」を高めているわけです。文化祭や体育祭の運営においてもさまざまな苦労を通して「ソーシャル・スキル」を高めていくわけですね。

この「学びあい」が持つ「ソーシャル・スキル育成力」を課外活動の場だけで生かしているのは非常にもったいないことです。学校生活の大部分を占める授業においても「学びあい」を積極的に取り入れることで、生徒はどんどん伸びていきます。
授業での「学びあい」において、

・人の話に真剣に耳を傾ける

・自分の考えや気持ちを、わかってもらえるように工夫しながら伝えていく

・いろいろな人の考えを聞いたうえで、みんなで相談する

・より良いものを協力して創りあげていく

といった体験を積み、単なる学力に偏ることのない、バランスのとれた人間力を生徒たちは身につけていくことができるのです。


大学が、社会に貢献するための「専門性」を身につける場であるとすれば、高校はその「基礎力」を磨く場です。この「基礎力」には「学力」だけでなく「ソーシャル・スキル」つまり「社会性」も含まれます。

私は個人的には「社会性は高校生までに確立すべき」と考えています。なぜなら今の大学には社会性を育むだけの教育力はないと強く感じているからです。
大卒学生の就職難が社会構造の面からだけクローズアップされますが、原因はそれだけではないと感じています。就職を意識するときになっていろいろ準備を始めても「お里が知れる」状態なのではないかと思うのです。

だからこそ高校は「最後の砦」として次の世代の「ソーシャル・スキル」を育成する責任があると考えているわけです。
社会に出てから「人手」となることなく、求められる「人材」となるために、高度な「専門性」と豊かな「ソーシャル・スキル」それぞれの基礎を、生徒たちにはきちっと伝えていきたいと思っています。

「学びあい」その3

今回は(「その3」にしてやっとですが…)「学びあい」本体について取り上げます。

私にとっての(私の授業を受けている生徒にとっての)「学びあい」の意味は、その1でも紹介しましたが、「効果的な思考ルートの獲得」にあります。

一人の人間が考えることができる範囲あるいはルートというのは限られています。なぜなら私たちが持っている知識や経験が限られているからです。
この知識や経験は学習を通して、あるいは生きていく過程で「徐々に」は増えていくので、時間をかければ思考ルートは増やせるわけですが、
実はもっと「てっとり早く」増やす方法があります。それが「思考ルートを共有する」という方法です。

同じ課題(たとえば入試問題でもよいのです)を解決する場合、一人ひとり考え方が異なります。似たような切り口のものもあれば、自分が全く思いもつかなかったような切り口で考えている仲間もいます。
特にこの「自分には思いもつかなかったような切り口」は自分一人で勉強している(考えている)だけでは文字通り「思いつかない」ものです。思いつかないことを自分一人で思いつくようにするために膨大な時間をかけることは、無駄だとは思いませんが、時間のロスが大きいことは確かです。対投資時間効果が極めて低い学習(取り組み)です。

そのような非効率な努力をするよりも、その「思いつき方」、つまりその「思考ルート」を仲間と一緒に体験的に学習し、身につけ、余った時間は別のことに費やすほうが間違いなく効果的でしょう。
同じ課題についても解決のルートはいろいろあること、課題によっては、その解決策(答え)もいろいろあることを、互いに自分の「思考ルート」を発表しあい、質問し、話し合うことを通して、共有し、自分にないものを仲間から体験的に学ぶことで、本来は限られている自分の「思考ルート」は短時間で飛躍的に増加していくのです。


ところが、残念なことに、小学生のころから「たった一つの正解にたどり着くこと=課題(問題)を解決すること」と思い込んできた生徒は、この「学びあい」がなかなか上手にできません。「たった一つの正解」を求めてしまうんですね。

教師が授業で生徒に「教える」ことも、実は「一つの思考ルート」を提示しているにすぎません。にもかかわらず、こういう生徒は「先生の言うこと=正しいこと」と頭から思い込んでしまっているので、いろいろ「考える」よりも先に「正解」を求めますし、教師が示した「一つの思考ルート(案)」をノートに写すと、それで満足してしまうのです。これでは「思考ルート」を増やすことなどできません。

このタイプの生徒は、学校にいるうちはまだよいのですが、社会に出てからは恐らくあまり使い物にならないでしょう。「人手」になることはできても「人材」になることはできないと私は思っています。
(この点については、次回取り上げます。)

ですから私の授業では、高校1年生はもちろんですが、高校3年生の入試問題演習の授業においても「学びあい」の時間が非常に多く設けられています。
「学びあい」を通して、受験偏差値など足元にも及ばない「価値ある力」を生徒たちは獲得してくれているのです。

プロフィール

2000年度より開智学園の教育理念を具現化するための新教育システムの構築に取り組み、2005年度に「S類」をスタートさせる。独自に開発した【S類メソッド】の柱の一つに『論理エンジン』を位置づけ、3つの力(論理的思考力、判断力、表現力)の総合体としての「智力」の育成に大きな成果を上げている。また、独自の理論に基づく「ソーシャル・スキルの育成」も人間力の向上に大きな効果をもたらしている。 趣味はギター。

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